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カシマ3号

Author:カシマ3号
東京某区生まれ、中央線育ち。いろんな人がいてバラエティ豊かなのが東京のいいところ。もちろんイシハラさんがきらってる人たち、たとえば外国人や同性愛者も含めて。
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2007/04/06 (Fri) 07:53
取り急ぎ参考情報

言いたいことはたくさんあるけど、忙しすぎてまとめられません。
「東京は燃えている!」という状況を伝える皆さんのレポートを紹介しておきます。

東京新聞 細川元首相夫人 佳代子さん
浅野さんの人柄がよくわかります。

スポーツ報知 井筒監督が「パッチギ2」試写会に浅野氏招待
「人間は誇りを傷つけられたときは闘う」と。

フツーに生きてるGAYの日常 土曜の夜、何かが変わる~2丁目を守るために
3月31日の歴史的「2丁目集会」の様子を動画も交えてレポートして感動的。まさに「人間は誇りを傷つけられたときは闘う」。

スポーツ報知 下北の住民が石原を立ち往生させる
スゴイ場面ですね。

勝手連ウォッチ 石原落選運動勝手連の呼びかけ

落選運動は公選法に規制されない、ということで、落選メール転送の呼びかけをしています。


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テーマ : 都知事選2007 - ジャンル : 政治・経済

2007/03/21 (Wed) 21:29
右翼からの謀叛宣言、届く!

今日の「街の声」は、なんと「右翼」の方からです。
大西さんとはひょんなきっかけで、新宿の呑み屋で出会いました。日蓮宗僧侶として法華経の道を歩みつつ、思想的には右翼であるという方です。その大西さんから、「右翼として」石原打倒を呼びかける檄文が、見事な達筆で送られてきました。原稿をお見せできないのが残念です。その分、カツモクして読んでください!



脆弱なる“愛国者”たちへ    日蓮宗僧侶 大西英充

石原慎太郎が都知事を勤めてゐたこの八年間で、東京のみならず日本全体の免疫不全化が相当進んでしまったやうに思ふ。それは石原がその右翼的言辞とは裏腹の「亡国の徒」に過ぎないことを示してゐる。
 石原人気の要因が、対中強硬論などの一見「断固」「決然」たる姿勢にあることは今さらいふまでもないが、それは取りも直さず石原自身の弱さの裏返しであり、同時にこの国が脆弱になりつゝあることの証左でもある。
 彼の強硬姿勢を支持する声の背景に、社会の過剰な流動性への不安感のあることはつとに指摘される所であり、それゆゑ彼の、中国や批判者への不遜な態度にすり寄る小心者が増加してゐるに過ぎないのである。
 歌舞伎町浄化作戦では、あの歌舞伎町をすっかり善意溢れる健全でクリーンな街に変へてしまった。しかし、もともと歌舞伎町とは建前で生きることを強いられてゐた大人たちが欲望と本音を吐露し、あへて不健全になることによって生命をリセットしてゐたハレの場(非日常的空間)ではなかったか。
「不健全さによるハレ」といふ生命力の躍動を嫌悪し、己の「正義」に固執する石原とその支持者らのボンボン的潔癖症は、この国をまるまる無菌室化することに他ならず、当然それは社会の免疫力の低下を招く。そんなことで、世界中到る所にコミュニティを築き華人ネットワークを展開する中国人の活力としたゝかさに太刀打ちできようか。
 漲る生命力への賛同と畏敬は、わが国の神話や伝説にも見られるものであり、日本人はそのハレの時間と空間を共有することによって生活を維持し、独特の文化を育んできた。それに基づく生命圏の回復こそが真の愛国者の責務ではないか。
 日本人を、喜怒哀楽を分かち合へない「潔癖なる優等生病」に導かんとする石原のどこが愛国的か。私が右翼の本義に基づき、石原亡国都政への謀叛を呼びかける所以である。

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2007/03/20 (Tue) 00:10
大久保から寄せられた声

今回は、ぼくの文章ではなくて、「街の声」を採取してきました。
大久保に住む車さんです。
あるとき、ぼくが車さんの家におじゃましたときのことです。
娘さんのユミちゃんの通う小学校の話ではクラスの半分くらいが外国人だという話を、大人たちでしていました。するとユミちゃんが、「何の話?」と聞いてくるので、「ユミのクラスの子の半分くらいは外国人の子だって話」とお母さんが教えてあげました。
するとユミちゃんは「え?外国人の子なんていないよ」と言うのです。
「そんなことないでしょ。いつも遊んでるパソーンちゃんだって外国人でしょ?」とお母さん。
「ううん。パソーンちゃんはタイ人だよ。馬くんは台湾人でしょ、李くんは韓国人でしょ…だから外国人の子はいないなあ」。
それでは、そんなカラフルな街からの「声」をお読みください。



「三国人」の街で   車万作

生まれも育ちも新宿・大久保である。
私たち住民は、親しみと多少の恥じらいをこめて、この街を「国際都市」と呼んでいる。

初めて新大久保駅に降り立った人は、誰もが驚くらしい。聞こえてくるのは、韓国語、中国語、タイ語、そして、ロシア語、スペイン語などの外国語、その割合が、日本語を圧倒的に上回っているからだ。
これだけ、雑多なアジア的風景が見られるという点では、日本広しといえども、ここ大久保が一番ではないか。多様性、という視点で考えれば、大久保は、まさに、「都市」なのだ。白金よりも、自由が丘よりも、おそらく、「都市」だ。

当然、この地域の小学校、中学校も、生徒の半数以上が、両親、あるいは、親のどちらかが日本国籍ではない、ということになる。ここでは純粋な日本人の方が少数だ。もっとも、「純粋な日本人」などという概念自体が怪しいとすれば、そんな議論もトートロジーに陥ってしまうのだけれど。

子どもたちの通う小学校は私の母校でもあるのだが、噂では、新宿区で最も人気の低い学校のひとつらしい。気持ちはわからないでもないが、やはり、どうかしていると思う。何故、この学校を日本の「最先端」と思えないのだろう。何しろ、「国際都市」である。ニューヨークだって、パリだって、ロンドンだって、そんな学校ばかりである。多様性を拒絶していたのでは「都市」ではない。「田舎」である。こういうところで育ってこそ、私のように「シティ・ボーイ」と呼ばれる権利があろうかというものだ。
子どもたちは、様々な文化背景を持つ友だちと当然のように遊び、ケンカをし、学んでいる。まさに、日本の「国際化」の最前線にいるのだ。

そんな学校だからこそ、ちょっと困った事態にも遭遇する。文化や価値観の違いによる衝突、とか、そんな凡庸な話ではない。例えば、卒業式であり、入学式だ。そう、あの、国歌の斉唱というやつ。あれがいたたまれない。式典に参列するのは、子どもたちだけではない。その親もいる。様々な事情から日本の学校に子どもを通わせているとはいえ、ちょっとでも考えれば、壇上の日の丸に向かって「君が代」を斉唱させる、という行為は、どうも趣味が悪い。私だって本当なら起立もしたくない。しかし、気の弱い私はそこまでして白い目で見られたりしたくない。一応、立つ。で、歌わない。せめてもの抵抗である。
「裏声で歌へ君が代」という小説があったけれど、この場合は、「口パクで歌へ君が代」ということになる。いや、実際には口さえも動かしていないのだが。
まわりにいる、韓国人や中国人、フィリピン人などの親をちらちらと気にしながら、心細く立ちすくんでいるのである。その気まずさがおわかりだろうか。

校長が壇上に上がり、日の丸に一礼する。息を呑むスリリングな一瞬である。もちろん、幸いにも、そこで暴動が起きたり、野次や唾が飛んだりするようなことはない。みなさん、そこは大人なのである。私に気を遣ってくれているのだろうか。もちろん、そんなことはない。

この街で「君が代」を斉唱するときの気まずさを救うために、どうこうしろ、などとはもちろん言わないが、国歌を歌わせることで得られるものと、国歌は歌わなくても演奏しなくてもよい、ということで得られるもの、そのどちらが大きいのだろう。せめて、それくらいのことは考えてもらいたい。この街では、これは現実論なのであり、もうあともどりはできないのだ。

そこかしこに、踏み絵があり、地雷が隠されているような、そんな空気、誰が見ても健全ではない。

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